のほほん帝国

のほほんとした雑記です。

経済的自由に他人を巻き込むブログは現代のネズミ講

Webの世界に希望を見出した人間として、ブログで自分が読みたいものを書きたい

 そもそも僕がブログを始めたきっかけはうつ病からのリハビリのためです。

 自分の考えを整理するという作業が、休職中の僕には圧倒的に足りていないし、その作業がつらいのです。これは復職のためには徐々に再開していくことが必要だと思っています。

 

 うつ病で休職してからブログを始めるまでの間、いろんなブログを見てみました。今、僕はどんなテーマのブログを書くべきか?

 そんな時Twitterでえとみほさんのとあるツイートを目にしました。

 

会社の子らに「ブログに何を書くべきか」と相談されたので「自分が読みたいと思う話を書くのが一番いいと思う。自分が読んで面白い!これが知りたかった!と思うものを。今の自分と同じことを気にしてる人は絶対いるから」と答えた。少なくとも自分はそういうスタンスで書いてる。

 

 これだ、僕が読みたいものを僕が書くべきなんだ!

 自分が読みたいものを、誰の制限も受けずに書いていい、という当たり前のことに気づかされました。僕は自分の気持ちを書きたいし、誰かの気持ちを読みたい、そう思います。

 

 さて、自分のブログのテーマは定まりました。

 

 一方で、休職前にWebの世界の一端に属していた者として、悲しい現実にも直面しました。それ詐欺のような情報商材アフィリエイトのブログがゴロゴロしていることです。情報商材アフィリエイトの人たちは、自分でこんな詐欺まがいの記事が読みたいのか?ただのネズミ講じゃないのか?

 

 また、著名ブロガーも仕事をやめた瞬間、ネズミ講の人と同じ行動を始めます。なんて人間とは業の深い...。

 

 僕はWebの世界に希望を見出して、自分の仕事を選択しました。

 Webは、世界に散らばる才能が集合知でイノベーションを起こしたり、マイノリティーがネット上で仲間と出会い希望を見つけたり、時間と場所のあらゆる制約から人類を解放していく、そのための素晴らしい舞台だと思っています。

 

 自分はブログにgoogleアドセンスを貼っていますので偉そうなことを言える立場ではありません。正直、心療内科の通院費くらい稼げればと思っています。

 

 しかし、Webをネズミ講と同じようなただの金儲けの道具とだけ考えているような連中には、いますぐにWebの世界からいなくなってもらいたい。ネットワーク帯域の無駄なんだよ

 

 

金太郎飴のような情報商材アフィリエイトの人たち 

  彼らは不思議なことにネズミ講の人たちと似たような特徴を持っています。

 

  • 経済的自由を手に入れ、会社を辞めたことを強調
  • ノウハウを法外な料金で販売
  • 好きなことで生きるのは素晴らしい
  • 不労所得は素晴らしい
  • 出逢いに感謝

 

 どんな生き方をしようと個人の自由です。しかし他人に経済的自由をすすめて、一体何の得になるというんでしょうか?

 経済的自由とやらを求めて会社を辞めるのは勝手ですが、他人を巻き込むのはやめてもらいたいです。本当に素晴らしいノウハウなら、そのノウハウを独占して個人で利益をあげたほうがよっぽど賢いですよ。

 

 

ネズミ講の人たちと本質は変わらない

 ネズミ講の人たちは、自分たちの仕事を決してネズミ講と言いません。「ネットワークビジネス」と言います。そして、先ほどの情報商材アフィリエイトの人たちは自分たちの仕事を「ネットビジネス」と言います。真面目にWebの仕事に取り組んでいた僕からするとその呼び方、一緒くたにされて迷惑です。

 

 こんな簡単な言い換えで、情報リテラシーの低い人たちは簡単に騙されてしまいます。彼らはネズミ講の下層、つまり新たな金づるとなる養分を探すために、逆にサラリーマン時代よりも多大な労力を強いられています

 

 そんな本末転倒なネズミ講の人たちを僕は知っています。それが彼らの経済的自由ならそれでいいですけど。

 

この界隈の人たちの旬のワードは変わる

 迷惑なことにこの界隈の人たちは、その時代の旬のワードを巧みに利用します。

 

 "不労所得"→"ノマドワーカー""アフィリエイター"

 

 これはいずれも自分の生活に不満を抱える情報リテラシーの低い人たちへの耳障りの良い撒き餌でしかありません。僕も昔、異業種交流会に参加した際、でネズミ講の人から声をかけられた経験があり、今も「金持ち父さん」や「不労所得」と言うフレーズを聞くだけで身構えてしまいます。

 

 

最後に:僕が希望を見出したWebの世界をネズミ講の舞台にするな

 僕は何らかの病気で休職を余儀なくされた人の気持ちを、Webを通じて知りたいと思うし、それらの人に僕の気持ちを伝えられればとも思います。

 

 しかしそれはほとんどの人にとって何の役にも立たないものです。しかし、それでも僕はWebの世界で見知らぬ誰かと共感をしたいのです。たとえそれが一円にもならなくても。

 

 Webの世界に希望を見出した人間として、それこそがWebの存在する意義だと思っています。だからこそ、ネズミ講の舞台をWebに移した彼らが許せないのです。